本を食べる。

若手教員の読書ブログ 兼 教材研究とか

ゼロヒャク教科書を小学校教員が読む

あの落合陽一氏が教育についての本を出すだと!!

と一瞬びっくりしましたが、よくよく考えれば(考えなくても)筑波大で教育に携わっておられる方でした。

今、日本でトップの発信力と影響力がある落合氏が今の教育についてどのように考えているのか。興味がわかないはずがありません。

 

0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる 学ぶ人と育てる人のための教科書」    長い・・・

 

通称「ゼロヒャク教科書」

 

小学校教員として

これだけは明日から実践せねば!という内容をまとめました。

 

ディスカッションが苦手 

「主体的、対話的で深い学び」という言葉は学校現場でもすっかり浸透しました。

自分が赴任してきた学校では

 

「主体的はイメージがわく」

「対話的はグループ活動を取り入れよう」

「深い学びは・・・?」

 

といった雰囲気がありました。ほかの学校ではどうなのでしょうか・・・?

 

ゼロヒャク教科書でも「ディスカッションが苦手。どうしたらいい?」と、「対話」に注目した章があります。

 

大学教授という仕事柄、学生とディスカッションしながらの授業が多いのでしょう。

本来、学問に正解は存在しません。課題に対して自分なりの問いを立て、解決策を考え続けるのが学問です。

ディスカッションを積み上げることによって、課題解決の方法を考え続けるという習慣を身につけることが大学の基礎課程だと僕は考えています。

大学で「課題解決の方法を考え続ける習慣を身につける」なら、

小学校ですべきことはなんでしょうか。

 

対話的な学びというと、多くのクラスで「話しあいの話型」を指導している場面を見てきました。

「わたしは賛成です。なぜなら・・・」

「わたしは反対です。なぜなら・・・」

というパターンです。

(あるいは「〇〇さんと同じで・・・。」)

 

それ自体の狙いはよくわかります。

「相手の言うことを聞いて、反応する」という習慣は大切です。

 

しかし、話合いは

「A or B」

ではなく

「AもBもCもあるよね。じゃあどうする?」 

 

と考えることが狙いのはず。

 

そのために小学校でできることは

「とにかく意見を出せる子」

を育てることではないでしょうか。

 

小学生でも間違いを恐れて発表をためらう子は多いです。

また1人が意見を言うと同じ意見は言わない子も多い。

 

賛成、反対と括ってしまうことで

学級30人分の意見が2つに分けられてしまうことはないでしょうか。

「賛成の中の微妙な違い」まで大切にできる子に育てたい

 

落合氏は意見を引き出す「魔法の言葉」として

正解はない

という表現を使われるそうです。

 

小学校の先生もよく使うのでは?

自分も授業で初めて聞く内容なんかは

 

「初めてやるんだから間違って当然」

 

とかもよく使います。

 

多様な意見を引き出せる場として「道徳」「学活」を活用することも考えられるでしょう。

  

英語教育とプログラミング教育

最近(ようやく?)話題になっている英語教育プログラミング教育

「英語」についてはだんだんと各学校でも対応が整ってきたように思いますが、「プログラミング教育」についてはまだまだ認知不足な感が否めません。

 

落合氏は

英語・・・母語の論理的言語能力を鍛えよう。

プログラミング・・・早期教育よりも数学が得意な人が有利

と述べています。

 

二つについて思うことを述べていきます。

英語は早いほうがいい

落合氏は「学習時期よりも伝わる英語を獲得する」ことが大切だと述べています。

Google翻訳などが有効に使えるようになる時代に、「英語が話せる」だけでは強みになりません。そこで大切になることとして以下のように書かれています。

言葉の壁を越えてでも伝える価値のある内容を持つこと。そしてコンピューターが翻訳しやすい話し方や文章を書き方を母語で覚えたり、そういったスタイルの言語の使い方があることを理解することです。

 

英語をネイティブライクに話せることではなく、論理的に伝えられる力が大切だという考え方です。

 

一方で、個人的には学校での英語教育に意味がないとは思いません。

一番の理由は「リスニング能力」です。

 

英語の習得において「文法事項」はある程度の発達段階(主語や動詞の関係がわかる)年齢での学習が効果的なのに対し

「リスニング」やそれに伴う「発音」については幼少期の経験が大きく影響します。

 

しゃべる必要がないのなら身につかなくてもいい、という意見もあると思いますが、

私たちは「文字」だけで生きているのではありません。

例えばオバマ大統領やキング牧師のスピーチを「文字」だけ読むのと

その「語り」を聞くのとでは大きく印象が違います。

 

「文字」「語り」ではその情報量が違います。その「語り」を聞き取ることができる。情報を受信できる子を育てることは意義のあることではないでしょうか。

 

ちなみに、落合氏の息子さんもYoutubeで他言語の動画を見ているそうです。

言語学習が不要、ということにはならないでしょう。

 

その意味では、低学年、さらには幼稚園、保育園での外国語学のほうが、今後求められるかもしれません。

プログラミング教育は教科ではない

小学校でのプログラミング教育はプログラミング言語を習得することを目的としているのではなく、「プログラミング的思考」を身につけることを目的としています。

そのため、なにかのプログラミング言語を使うことを目標としてしまうと、狙いからずれてしまいます。

 

「全学年、全教科でプログラミング教育を取りいれる」としているのはこのためで、

「課題解決の手段として思考法を身につける」ということに重点がおかれているのです。

 

中学や高校で、実際にプログラミングをする段階になれば、確かに落合氏の言うように「数学」の重要性が出てきます。

 

では小学校では?

 

小学校では「算数」に加えて、自分の考えをメタ認知するための「国語」の力も必要になってくるのではないでしょうか。

これからのプログラミング教育は過去の「読み・書き・そろばん」と同じような、学問の基本スキルの位置づけになるでしょう。

この意見には同意ですが、順番でいえば、やはり「読み」「そろばん」が先に来て、アウトプットにあたる「書き」「プログラミング」は後に来ると思います。

 

STEAM教育におけるアート

S…Science(科学)

T...Technology(技術)

E...Engineering(工学)

A...Art(美術)

M...Mahmatics(数学)

 

の頭文字をとったSTEAM教育。これまでの理工系の教育に重点を置いたSTEM教育Artの要素を加えたのがSTEAM教育です。

 

落合氏はこのSTEAM教育の重要性には触れたうえで、以下の点を指摘しています。

[日本のSTEAM教育において、不足している4つの要素]

・言語(ロジック化)

・物理(物の理という意味で)

・数学(統計的分析やプログラミング)

・アート(審美眼・文脈・ものづくり)

この中で、小学校教育には圧倒的にアートが足りていないように感じます。

 

図画工作や音楽の授業の中で、鑑賞教育にかけられる時間はほんのわずかです。校内の学習発表会作品展のために、合唱や作品作りに多くの時間が割かれ、鑑賞は各単元1、2時間程でしょうか。しかも、図工であればクラスメートの作品を鑑賞することで終わり、、なんてのも多いのではないでしょうか。

 

自分のクラスで実践しているのは、京都造形芸術大学で行われている「ACOP」(対話型鑑賞)です。

www.acop.jp

ACOP / エイコップ(Art Communication Project)とは、「みる・考える・話す・聴く」の4つを基本とした対話型鑑賞プログラムです。美術史等の知識だけに偏らず、鑑賞者同士のコミュニケーションを通して、美術作品を読み解いていく鑑賞方法を提唱しています。

 教員はファシリテーターとして子どもたちの意見を引き出すことに徹します。

 

これは、ゼロヒャク教科書の中の以下の部分ともつながります。

自分が持っている知識やコンテクストと照らし合わせながら、その作品を見たときに「こう感じた」、「こう思った」と言葉で説明できることが大切です。

実践している、といっても、継続的な指導はやはり難しいというのが本音です。

 

しかし、間違いを恐れず「とにかく意見を出せる子」にもつながる、答えのない問いかけとして、今後重要になってくるでしょう。

 

100歳まで学べる子を育てる

学校教育は大きく変わる転換点に来ています。

その中で、小学校教員も「去年と同じ」ことをしていては、価値がありません。

100歳まで学び続ける子どもを育てるために、小学校での指導の在り方も考えていかないといけないでしょう。

 

ゼロヒャク教科書は「親子で一緒に読める本を目指した」と書かれているように、注釈も多く、落合氏の著書としては一番の読みやすさです。

ぜひ、先生も、親御さんも、読んでみては。

 

ご意見ご感想待ってます。

幸せとお金

あなたは幸せですか、と聞かれたら

 あなたはどう答えますか?2014年に各国の「幸福度」を調べた結果、日本は先進国の中で最下位だったそうです。

 

これほどたくさんのモノにあふれており、毎年多くの外国人観光客が訪れる国なのに、どうしてそこに住む人々は幸せを感じられないのか。

  

 その原因の一つに「お金の使い方が間違っている」ということを指摘したのが今日の本です。

中くらいの幸せはお金で買える (単行本)

中くらいの幸せはお金で買える (単行本)

 

  著者の藤原和博さんは都内で初めて中学校の民間人校長となったことでも話題となった方で、今は教育改革実践家としても活動されています。

 そんな人が語る「お金」そして「幸せ」とは、どのようなものなのでしょうか。

 

幸せには3種類ある

 タイトルにも「中くらいの幸せ」とあるように、幸せには「大・中・小」の3種類があります。

〇小さい幸せ

  • 席を譲ったときに「ありがとう」と言われた。
  • 初めて逆上がりができた。
  • 赤ちゃんを抱いて優しい気持ちになった

こんな風に、瞬間瞬間に感じる幸せが小さな幸せとして挙げられており、基本的にお金とは無関係です。

 

それに対して

〇大きな幸せ

これに関しては人によって中身が大きく違います。いわば「長年の夢が叶う」というやつで、「お金があれば叶う」というものではありません。

 

中くらいの幸せはこの二つの間にあるものであり、それはお金で買うことができる、あるいは増幅できるものである、ということを紹介するのが本書になります。

 

18個の具体的なお金の使い道が紹介されているのですが、そこには一つの原則があります。

 

「人との絆を結ぶ物語にお金を使う」

 

読み進める中で特に気になった1つを紹介します。

 

いいモノを買う

自分がどんなものを使っているのか、友人や取引先との雑談の中で自然に話題になることがあります。そういう時、「質のいいモノを長く使っている」とか「買った時の物語がオモシロイ」ということが、相手にどんな印象をもたらすかご想像いただけると思います。

いいモノ、欲しいですよね。でも値段を見てあきらめる、なんてことは良くあります。

買おうか、どうしようか、迷った時は「そこに物語があるか」という視点を取り入れてみてはどうでしょう。

 

いいモノを買う良さとはなにか、簡単にまとめると

 

・いいモノを選ぶときに「自分の価値観」が反映される

・長年使うことで物語が生まれる

・それを人に語ることで絆が生まれる

 

例えば、ニトリのコップより、旅行先で少し奮発して買ったコップのほうが愛着も沸くし、人に出したときに話のタネにもなりますね。

 

ここで大切なのは、「ブランド品を買え」ということではない、ということです。

 

もちろん大量生産のものと比べブランド品は「いいもの」であることは間違いないのですが、

それを選ぶときに「自分の価値観」が反映されているのかということが大切です。

 

 

最近はネットを通じて、多くのレビューなんかも見れるようになりました。こうした他人の評価を判断基準にしてしまうことも、「ブランド品を買う」ということと変わりない、と語られています。

 

「みんな一緒がいいよね」

「物がたくさんあるほうが幸せだよね」

「リビングにテレビはあって当たり前」

こうした日本的な価値観や、常識も自分でモノを選ばない姿勢につながっています。

 

自分で考えることを放棄して、他人の価値観や、そのブランドネームで物を買うことを続けていると、自分なりの価値観や、審美眼が育ちません。

 

子どもがまず100円単位のお金の使い方をマスターして1000円台のお金の使い方も上手になるように、一万円、五万円、十万円・・・百万円と少しずつ高いモノを買っていく練習をすればいいんです。

車を買うとき、家を買うとき、普段は節約を意識しているのに、いらないオプションまでつけてしまう、なんてことはよくある話ですが、これも、お金の使い方を練習していないから、言い換えれば、

「自分の価値観」が完成されていないから

起こる話なのです。

 

お気に入りの靴を買おう

自分が何が好きなのか、なにに重きを置くのか、「いいモノを買う」ことを通して「自分とはどんな人間なのか」を問いかけていく。

 

「いいモノを買って自慢しあう」わけでなく、「いいモノを買った『自分』」を語る

 

だからこそ、人とのつながりが生まれる。

 

5万円以上のモノなんて、車をのぞいたらギターくらいでしょうか・・・

ちょっといい革靴でも探しに行こうと思います。

 

 

 

文系教員がプログラミング教育について自販機とカレーで説明する。

プログラミング教育スタート!

2020年、小学校でもプログラミング教育がスタートします。

各学校でも対応に追われ(あるいは手も付けられず・・・)忙しいのではないでしょうか。

 

お子さんのいるご家庭では

外国語に引き続き、プログラミングかよ

 

と困惑される方も多いでしょう。

 

プログラミング教育とは何か。

 

学校で何が始まろうとしているのか。

 

「自販機」と「カレー」で解説します。 

子どもにプログラミングを学ばせるべき6つの理由 「21世紀型スキル」で社会を生き抜く (できるビジネス)

子どもにプログラミングを学ばせるべき6つの理由 「21世紀型スキル」で社会を生き抜く (できるビジネス)

 

 

なぜ学ぶのか・何を学ぶのか

近い将来、人間の仕事は3種類に分けられると言われています。

  1. 「機械の指示を受けて働く人」
  2. 「機械と競争する人」
  3. 「機械に指示を出す人」

の3種類です。

 

これは決して優劣があるわけではありません。

例えば、「機械が判断した悪性腫瘍を医者が取り除く」も1になります。

プログラミング教育は、3の「指示を出す人」にもなれるように、土台を作ることが一つの目的になります。

 

一方で

小学校のプログラミング教育はプログラミング言語を習得するためのものではありません

 

プログラミングを通して学ぶ

 

それがプログラミング教育です。

 

何を学ぶのかというと

プログラミング的思考です。

 

What プログラミング的思考!?

プログラミングには基本になる3つの処理があります。これを自販機で缶ジュースを買う場面を想定して説明します。

 

①「順次」

 お金を入れる

 ↓

 ボタンを押す

 ↓

 商品を取り出す

②「反復」

 お金を入れるーー

 ↓        |  

 ボタンを押す  |これを5回繰り返す  

 ↓                          |

 商品を取り出す ー   

③「分岐」

 お金を入れる

 ↓150円なら  ↓120円なら    

 「ペットボトル」「缶ジュース」

 

 プログラミング的思考とは、こうした処理を頭の中で組み立てられる思考力のことを言います。

 さらに言えば

 どのように組み合わせれば最適か

 

をトライ&エラーで考える力を身に着けることがプログラミング教育です。

 

最適って?

カレーを作る場面で考えてみましょう。

プログラミングをするとき

「材料を切って煮込んでルーを入れる」

では動きません。

 

パソコンが理解できる単位で(記号で)命令する必要があります。

 

例えば「材料を切って」は

人参を切る

玉ねぎを切る

ジャガイモを切る

というふうに、動作を細分化していかなくてはなりません。

プログラミング教育の一つの意義として、

課題を達成するために必要な手順を適切に把握する力を身に着けることが挙げられます。

 

さらには、切り方も指定するとなると

 

人参を乱切り

玉ねぎをみじん切り

ジャガイモを乱切り

 

となるかもしれません。

このとき、乱切りという命令は重複しているので

 

人参ジャガイモを乱切り

玉ねぎをみじん切り

 

とすればすっきりしますね。

課題解決のための手順をできるだけ簡潔にすること

これが最適化です。

 

どうやって教えるの?

ここまで自販機やカレーで説明してきましたが、

プログラミング教育だから全てパソコン上で行うわけではありません。

学校の実践例として

  • ナップサックの作り方を考える
  • 修学旅行の日程を考える

などを考える際、「順次」、「反復」、「分岐」を用います。

こうしたパソコンを使わないプログラミング教育(アンプラグド)も行われています。

そのため、プログラミング教育は

全学年の全教科で利用すること

が推奨されています。

 

一年生から、こうした論理的な思考の訓練をするわけです。

 

とはいえ、パソコンを使わなくてもいい、というわけではなく、積極的な利用が呼びかけられています。

scratch.mit.edu

「スクラッチ」や「プログラミン」のようなビジュアルプログラミング言語も普及してきました。

各学校では、こうした無料のプログラミングツールや、プログラミング的思考を生かした授業づくりが今後行われていきます。

 

未来を生きる子供たち

 これまでの教科学習とちがい、プログラミング教育の良さは

「間違っても大丈夫」

な点にあります。

 

宿題をしている子どもを想像してみても、間違った所を指摘すると泣きながら消しゴムで消す子もいると思います。

 

しかし、プログラミングは「間違うことを前提」としています。

 

やってみる

どこが違うか見つける

修正する

 

この繰り返し(トライ&エラー)の中で最適解を見つけることが大切だからです。

失敗を恐れずに挑戦する子を育てる

そうした意味でも、プログラミング教育は今後、重要になってくるでしょう。 

自主学習で宿題に意義を。

自主学習

 こんな記事が出て、頭を悩ませた教員の方もいたのではないでしょうか。

gigazine.net

 そのうち、「宿題なんかさせるな」という声も上がるかもしれませんが、自分の中で宿題はそんなにいやな記憶がありません。

 

その理由の一つが「自主学習」です。

 

ノートに好きな学習をする。時にはクラブでやっていた陸上やバスケのコツなんかもまとめたりしました。

 

今、自分が受け持っている子どもたちにも、試行錯誤しながら自主学を進めています。

 

 最近、クラスの自主学レベルも上がってきたので、これまでの取り組みをまとめてみます。

 

 

 

 一冊の本

 初任者のころ、とりあえず自主学の見本がほしい、と思い購入 

子どもの力を引き出す自主学習ノート 実践編 (ナツメ社教育書ブックス)

子どもの力を引き出す自主学習ノート 実践編 (ナツメ社教育書ブックス)

 

その後も何度か参考にさせていただきました。

ポイントは

  • スケジュールを立てさせる
  • わくわく学習とばっちり学習の二本立て
  • 難しい子には個別で面談
  • 自主学ノートを披露しあう場を設ける

実際の自主学ノートがカラーで掲載されており、初めはコピーして子どもに見せました。

 

すると

新聞の切り抜きや国旗調べなど、自主学の幅が広がりました!

 

しかしながら、勉強が得意な子はぐんぐん伸びる一方で、参加しにくい児童も多くいました。

※本書が悪いのではありません!ひとえに力量不足です・・・!

 

けテぶれ

そこで出会ったのがこの方

 

計画  テスト  分析  練習

の頭文字をとったけテぶれを提唱された葛原先生。

 

これを自主学に取り入れられないか、と考えました。

自主学の目的を「テストの点数」としてはっきりさせる。普段の宿題は毎日の「小テスト」。宿題で見つけた苦手をつぶす、そのための練習の場としての「自主学」だ、と伝えました。

 

少しずつ、自主学に取り組む児童が増えてきました。また、中身についてもその日の復習や、難しいと感じた内容を解きなおすものが出てきました。

がんばりの可視化

それでも自主学に取り組まない子はたくさんいます。でも、がんばっている子はとってもがんばっている、それを認めてあげたい、と思い、エクセルでグラフにしました。 

 基本1ページ1ポイント。よくまとまっているものや工夫が見られるものには2~3ポイントとし、お手製スタンプを押しました。

 

 これまであまり目立たなかった子も、実は毎日コツコツがんばっている。そんな新しい一面を子どもたち自身が発見する機会になりました。

 

取り組んでいない子が悪い意味で目立ってしまわないか心配でしたが、次の取り組みでかなり改善されました。

お師匠さんとお弟子さん

 ポイント数が上位の子を「お師匠さん」少ない子を「お弟子さん」とし、子どもたち自身で自主学を計画し、評価しあう仕組みを作りました。

 

 最初に挙げた本の中で紹介されていたものに、「けテぶれ」を混ぜて行った感じです。

 

さらに

「お師匠さんの合計ポイント」「お弟子さんの合計ポイント」

で競争させました。

 

これに関しては、特にゲームが好きな子は乗ってきてくれました。

 

お師匠さんは自分が鍛えた弟子に負かされるかもしれない・・・

 

そんなドラマを子どもたちが感じてくれたら・・・

 

なんて思いましたが、デメリットも目立ち、2週間で決着をつける運びとなりました。

デメリットとは

  • お師匠さんの負担が大きい
  • 仲良しグループで固まる
  • その結果、ポイントがインフレ状態に
  • ノートの質が下がる

ポイントのインフレ、つまり、師匠から弟子の評価が甘くなることについては、やる気を出させるため、として大目に見ていたのですが

 

上位のこれまで努力してきた子の頑張りまで薄まりそうなのは嫌でした。

 

なにより、テストの結果に表れない・・・

 

成績が全てとは思いません。

 

でも、「自分の成長」や「楽しさ」があって初めて、継続的に取り組めるものだと思います。

 

友達とのポイント勝負でなく、「自分の変化」に目を向けさせたい、、そこで次の取り組みです。 

1人1人の成長に焦点を

ここで、基本に立ち返り、テスト 分析を大切にしようと思い、新しい取り組みをスタートさせます。

その名も

 

漢字勉強 総選挙

 

これまでの自主学コンテストを、「漢字」のみにフォーカスし、

 

一週間後の学期末漢字テストで満点を取る!

 

そのためにどの学習の仕方がよいか、良いノートに投票しながら、工夫しあおうというものです。

 

来週からスタートするこの取り組み。

漢字に焦点を絞ったのが良いのか、悪いのか

 

 

ご意見ご感想お待ちしています。

普通の幸せってなんだろう。~コンビニ人間とLGBT~

芥川賞受賞作 コンビニ人間

 学生時代、セブンイレブンでアルバイトをしていた身にとっては気になり続けていた作品。ようやく読めました 

コンビニ人間 (文春文庫)

コンビニ人間 (文春文庫)

 

 あらすじはほかの方に任すとして、僕は「幸せ」について考えたいと思います。

 

www.hyakuhon.com

 古倉と白羽

 この物語には「普通」ではない人物が二人登場します。主人公の「古倉」とある流れで同棲する(正確には飼う)ことになる「白羽」です。

 二人とも社会不適合者として扱われますが、「古倉」はコンビニ店員として働く間だけは、社会の一部として機能することができます。

 

 なぜコンビニなのか、というと、彼女は「的確な指示、マニュアル」のもとでは問題なく動くことができます。また、怒りや悲しみの感情が生まれないというような言葉もあり、まるでロボットのようです

 

また、幼いころのエピソードとして「喧嘩している男子を止めるためには、スコップで殴るのが一番早い」と考え、実際に殴り問題になる場面が描かれていますが、それはある意味で、とても合理的な人物であるともいえます。

 

 「白羽」は、コンビニ店員を「社会の底辺」と見下しながらも、自分自身は店員として働くこともままならず、「古倉」の家に同棲することで、身の安全と生活を守ってもらおうとします。

 社会への不満から、不満の根源を歴史の中に求め、「この世界は縄文時代から変わっていない。ムラに不要な人間は排除される」と訴え続けます。

 

 一方で、「古倉」から同棲を持ち掛けられた際には真っ先に「性対象として見ていない」というようなことをいう場面があり、(実際はもっとひどい言葉ですが)そこは動物的であると言えるでしょう。

 「コンビニ人間」である「古倉」とは対照的に描かれていることがわかります

 

 古倉 

 合理的  コンビニ(現代的) 機械的

 白羽 

 不合理  ムラ(縄文) 動物的

幸せとは何か

 作中には「結婚」という言葉が何度も出てきます。多くの人にとって「結婚」は幸せであり、また他人からの興味の対象になりえます。

 

 しかし「コンビニ人間」である「古倉」にはそれが理解できません。彼女にとって、「から揚げ棒を100本売る」という目標のほうが大切なのにも関わらず、ほかの店員は「古倉」と「白羽」の同棲についてばかり聞いてくることが、彼女にはうっとうしくてたまりません。

 

  また、一度も恋愛したことがない「白羽」にとっては、「結婚」は「白羽」を苦しめる言葉でもあります。

 

 二人の決定的な違いは結末の部分でも表れます。「白羽」は「古倉」に就職するよう働きかけ、面接を受けさせようとします。社会に辟易しながらも、「普通」の生活を求めようとするのです。

 

しかしながら、その途中に見かけたコンビニの「声」を聞いた「古倉」は自分は「コンビニ店員」という動物だと感じ、生まれ変わったように感じます。それは「普通」ではないのかもしれないけれど、「古倉」にとっては幸せなのでしょう。

 

「自分の価値観」の中で幸せを得た(であろう)「古倉」

「普通の価値観」によって苦しめられる「白羽」

「普通の価値観」の中で生活している人々(古倉の家族や、ほかのアルバイトなど)

 

 読者は3つの人々の頭上で宙ぶらりんになったように感じさせられ、この結末はハッピーエンドといえるのか、余白を残した状態で読み終わることになります。

「ハッピーエンドだ!」といえる世の中に!

 「マイノリティ」「異物」という言葉は作品の中で何度か出てきます。「古倉」は初め、自分が「異物」にならないようにと余計な言動を控え、他人の真似をして「普通」を演じます。

 

 作者は意図していないかもしれませんが、「マイノリティ」に「LGBT」を重ねるとどうでしょうか。

 

「結婚はまだか」と尋ねてくる家族

「普通」であろうとして苦しむマイノリティ

「自分の価値観」で幸せを見つける

 

だとすれば、「コンビニ店員」という動物として生きていくことに目覚める結末はハッピーエンドだ。と捉えることができるのではないでしょうか。

むしろ、ほかのコンビニ店員や「古倉」の家族、友人はそれを「多様性の一つ」として認めるべきではないのか、という主張にも受け取れます。

だとしても・・・

 ポジティブに「古倉の生き方は良い」と言えないのが・・・それほどに「古倉」は「変わり者」として描かれています。マイノリティな立場をロボットと重ねるのもどうかと思うし

 つまるところ、一度読んでみてください。

あなたの仕事は10年後なくなるかもしれない

10年後の自分は何をしているのか

 本屋さんに行くと最近ビジネス書がたくさん積んであるような気がします。働き方改革の流れでしょうか。その中で目に飛び込んできた本をつい買ってしまいました。

10年後の仕事図鑑

10年後の仕事図鑑

 

ITに仕事を奪われる?その先は・・・

今の小学生の65%は、将来、今は存在しない仕事に就く。

今後10~20年で雇用者の47%の仕事が自動化される。

 よく研修なんかでも耳にするこの言葉。それに対して、落合陽一さんと堀江貴文さんの視点で未来の仕事についての意見が書かれています。

 

 「13歳のハローワーク」的に、いろんな職業が羅列されているのかと思いましたが、そうではなく、

「AIはどんな仕事を代替するのか」

「会社員、仕事の在り方の変化」

「お金の価値観の変化」

といったことを軸に、既存の仕事の変化を予想しています。

AIにとられる仕事

 AIは計算作業だけでなく、ディープラーニングによって高度な処理が行えるようになりました。車の自動運転や、AIが描いた絵画なんかもニュースになりましたね。

 

 「奪われる仕事」はどのようなものか。一言でいえば、「機械が行ったほうが安く上がる仕事」は奪われます。

 例えば、車の自動運転化が進み、

タクシードライバーの給料]>[自動運転のコスト]

となれば、タクシードライバーは「仕事を奪われる」と言えるでしょう。

 

ほかにも、事務処理を行うだけの事務員公務員、給料の高い弁護士なんかも例として挙げられていました。

 

仕事の在り方

与えられた仕事(=処理作業)をやるだけなら、機械でもできる。そうした中で「働こう」と思えば

 

「人間にしかできない仕事」

さらに言えば

 

「自分にしかできないこと」

が求められるようになってきます。

 

これまでの仕事は会社の利益のために働く。「報酬」のための「労働」でした。

【消費者、社会】

  ↕  商品とお金

【会社】

  ↕  報酬と労働

【労働者】(個人)

 

「自分にしかできないこと」は、言い換えれば会社の価値ではなく個人の価値にニーズが生まれるので

【消費者、社会からの依頼】

  ↕   商品とお金

【個人】

となり、仕事は「もらうもの」でなく自分で「作るもの」に変わると予想されていました。

 では会社はどうなるのか。これまでのように「労働者の生涯を保証する場」ではなくなり、「個人の価値を高めるための経験を得る場」として機能するのではないか、とも述べられていました。

 

ひとごとじゃない!

 「10年後に消える職業だから何とかしなきゃ」

 「俺の仕事は機械にはできないから大丈夫」

とか、そういうことではないのです。

 

 研修の場で

「教員は消える仕事リストに入っていません。よかったですね(小笑)」

みたいなのがすごく違和感がありました。

それを解消してくれる一冊になったと思います。

 

 一個人として価値のない仕事の仕方では、AIに奪われる前に社会から必要とされなくなるのではないでしょうか。

 

科学的に学級経営をうまく回す方法4つ

科学的に元気なクラスをつくろう。

 先週は風邪をひきました。のどが痛くてやる気も出ない。熱はないから出勤はしなきゃ。みたいな日が続いた中で読んだ一冊。

科学的に元気になる方法集めました

科学的に元気になる方法集めました

 

  科学的ではあるけど、とても読みやすい文章で書かれたこの本は、仕事、特に子どもと関わる学校の先生には応用できるものも多いのでは、と思い、特に使えそうな4つをまとめました。

  1. 身体が先で、そのあとに脳は考える。
  2. 笑顔の力。
  3. 疲れたときは、「愛ある注意」でよみがえる。
  4. 「減点法」で人を見ない

1.身体を動かしやる気スイッチオン!

脳には、一度その行動を始めると、のめり込んでしまうという性質があります。一度作業をやり始めると、この「やる気スイッチ」が入り、やめられなくなってしまいます。

 めんどくさいな~、と思いながら始めた掃除にいつの間にか集中してしまっている、ってやつですね。

 

 授業を始める時にも、なかなかスイッチが入らない子は多いと思います。でも、まず1つ作業を始めさせることで、スイッチが入るのではないでしょうか。

 

 例えば、教科書を出す。目当てをノートに書く、などのルーティンもやる気スイッチを入れる一つです。百ます計算なんかはまさしく、これに当てはまりますね。

 

2.笑顔は教室を和ませる。作り笑いでもいい!

 「先に行動があり、脳は後からついてくる」と話しましたが、それと同じで、「先に笑顔があり、楽しい気分になる」というのも科学的に実証されているそうです。

 

 ここでの笑顔とは、本当に笑っているのでなくても

「口角をあげる」

ことさえしていれば、ストレスは軽減されるそうで、

 

言い換えれば作り笑いでもOK!

ということ。(本では"フェイクスマイル"とされていました。)

 

 また、人は相手のマネをついしてしまう癖(ミラーニューロンがあるそうで、自分が笑顔だと、相手も笑顔になるそうです。 高橋優みたい。。

 

先生が笑顔→先生のストレス軽減

子どもも笑顔に→子どももストレス軽減

 

の好循環となるわけです。

3.愛のある注意とは

 とはいえ、時には子どもを注意しないといけないのが先生。いつもニコニコというわけにはいきません。

 ではどのような注意が効果的なのか、大切なのは「ポライトネス」(丁寧さ)だそうです。

 ブラウンとレヴィンソンの二人が提唱した「ポライトネス理論」によると、伝え方には「ポジティブ・フェイス」と「ネガティブ・フェイス」の2種類があるそうです。

 

ポジティブ・フェイスとは

「相手から理解されたい、好かれたい」という欲求。

 

ネガティブ・フェイスとは

「相手から邪魔されず、自由になりたい。」という欲求。

 

この二つを満たすように、あるいは、侵害しないような伝え方をすればよいのです。

 

例えば、授業に集中できていない子どもがいたとすると

 

「つかれた?長いこと集中してたもんね。あと少し、がんばろう」

相手の頑張りを認めながら伝えるのと

 

「早くしないと休み時間がなくなるよ

と伝えるのとでは、前者のほうが良いですよね。 

(わかっててもできないものですが・・・)

4.相手のよいところをみつけよう

 人の脳は「悪い情報に価値を置く」傾向があるそうです。

例えば

「実験は70%、成功します」

と伝えられるのと

「実験は30%、失敗します」

と伝えれるのでは

 

ネガティブな伝え方のほうが頭に残り、後から、「つまり、成功率は70%」と伝えられても、悪い印象は消えないそうです。

 

子どもについても同じではないでしょうか。

 

「あの子はよく宿題を忘れる」

「あの子は算数が苦手」

「あの子は口が悪い」

 

など、悪い印象を持つと、「そういうもの」として指導に当たってしまい、あくる日、宿題を持ってきても、なかなか「良し」とできないことはありませんか。

 

これを解消するためには、意識的に良いことに目を向けるしかないようです。

「今日は掃除が早くできた。」  

「今日は最後までノートが取れた」

小さなことでも認めてあげることが、教師の意識にとっても、子どものやる気のためにもプラスになります。

おわりに

 頭でわかっていてもできないよ、という方、そんな時は、一息ついて、自分の脳をリフレッシュさせましょう。

一息20秒ほどの深呼吸

で脳は「休んでもいいんだ」と思うそうです。

まずは先生が気分よく、一日を過ごせることが大事ですね。