ゼロヒャク教科書を小学校教員が読む
あの落合陽一氏が教育についての本を出すだと!!
と一瞬びっくりしましたが、よくよく考えれば(考えなくても)筑波大で教育に携わっておられる方でした。
今、日本でトップの発信力と影響力がある落合氏が今の教育についてどのように考えているのか。興味がわかないはずがありません。
「0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる 学ぶ人と育てる人のための教科書」 長い・・・
通称「ゼロヒャク教科書」
小学校教員として
これだけは明日から実践せねば!という内容をまとめました。
0才から100才まで学び続けなくてはならない時代を生きる 学ぶ人と育てる人のための教科書
- 作者: 落合陽一
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2018/11/29
- メディア: 単行本
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ディスカッションが苦手
「主体的、対話的で深い学び」という言葉は学校現場でもすっかり浸透しました。
自分が赴任してきた学校では
「主体的はイメージがわく」
「対話的はグループ活動を取り入れよう」
「深い学びは・・・?」
といった雰囲気がありました。ほかの学校ではどうなのでしょうか・・・?
ゼロヒャク教科書でも「ディスカッションが苦手。どうしたらいい?」と、「対話」に注目した章があります。
大学教授という仕事柄、学生とディスカッションしながらの授業が多いのでしょう。
本来、学問に正解は存在しません。課題に対して自分なりの問いを立て、解決策を考え続けるのが学問です。
ディスカッションを積み上げることによって、課題解決の方法を考え続けるという習慣を身につけることが大学の基礎課程だと僕は考えています。
大学で「課題解決の方法を考え続ける習慣を身につける」なら、
小学校ですべきことはなんでしょうか。
対話的な学びというと、多くのクラスで「話しあいの話型」を指導している場面を見てきました。
「わたしは賛成です。なぜなら・・・」
「わたしは反対です。なぜなら・・・」
というパターンです。
(あるいは「〇〇さんと同じで・・・。」)
それ自体の狙いはよくわかります。
「相手の言うことを聞いて、反応する」という習慣は大切です。
しかし、話合いは
「A or B」
ではなく
「AもBもCもあるよね。じゃあどうする?」
と考えることが狙いのはず。
そのために小学校でできることは
「とにかく意見を出せる子」
を育てることではないでしょうか。
小学生でも間違いを恐れて発表をためらう子は多いです。
また1人が意見を言うと同じ意見は言わない子も多い。
賛成、反対と括ってしまうことで
学級30人分の意見が2つに分けられてしまうことはないでしょうか。
「賛成の中の微妙な違い」まで大切にできる子に育てたい
落合氏は意見を引き出す「魔法の言葉」として
正解はない
という表現を使われるそうです。
小学校の先生もよく使うのでは?
自分も授業で初めて聞く内容なんかは
「初めてやるんだから間違って当然」
とかもよく使います。
多様な意見を引き出せる場として「道徳」や「学活」を活用することも考えられるでしょう。
英語教育とプログラミング教育
最近(ようやく?)話題になっている英語教育やプログラミング教育。
「英語」についてはだんだんと各学校でも対応が整ってきたように思いますが、「プログラミング教育」についてはまだまだ認知不足な感が否めません。
落合氏は
英語・・・母語の論理的言語能力を鍛えよう。
プログラミング・・・早期教育よりも数学が得意な人が有利
と述べています。
二つについて思うことを述べていきます。
英語は早いほうがいい
落合氏は「学習時期よりも伝わる英語を獲得する」ことが大切だと述べています。
Google翻訳などが有効に使えるようになる時代に、「英語が話せる」だけでは強みになりません。そこで大切になることとして以下のように書かれています。
言葉の壁を越えてでも伝える価値のある内容を持つこと。そしてコンピューターが翻訳しやすい話し方や文章を書き方を母語で覚えたり、そういったスタイルの言語の使い方があることを理解することです。
英語をネイティブライクに話せることではなく、論理的に伝えられる力が大切だという考え方です。
一方で、個人的には学校での英語教育に意味がないとは思いません。
一番の理由は「リスニング能力」です。
英語の習得において「文法事項」はある程度の発達段階(主語や動詞の関係がわかる)年齢での学習が効果的なのに対し
「リスニング」やそれに伴う「発音」については幼少期の経験が大きく影響します。
しゃべる必要がないのなら身につかなくてもいい、という意見もあると思いますが、
私たちは「文字」だけで生きているのではありません。
例えばオバマ大統領やキング牧師のスピーチを「文字」だけ読むのと
その「語り」を聞くのとでは大きく印象が違います。
「文字」と「語り」ではその情報量が違います。その「語り」を聞き取ることができる。情報を受信できる子を育てることは意義のあることではないでしょうか。
ちなみに、落合氏の息子さんもYoutubeで他言語の動画を見ているそうです。
言語学習が不要、ということにはならないでしょう。
その意味では、低学年、さらには幼稚園、保育園での外国語学習のほうが、今後求められるかもしれません。
プログラミング教育は教科ではない
小学校でのプログラミング教育はプログラミング言語を習得することを目的としているのではなく、「プログラミング的思考」を身につけることを目的としています。
そのため、なにかのプログラミング言語を使うことを目標としてしまうと、狙いからずれてしまいます。
「全学年、全教科でプログラミング教育を取りいれる」としているのはこのためで、
「課題解決の手段として思考法を身につける」ということに重点がおかれているのです。
中学や高校で、実際にプログラミングをする段階になれば、確かに落合氏の言うように「数学」の重要性が出てきます。
では小学校では?
小学校では「算数」に加えて、自分の考えをメタ認知するための「国語」の力も必要になってくるのではないでしょうか。
これからのプログラミング教育は過去の「読み・書き・そろばん」と同じような、学問の基本スキルの位置づけになるでしょう。
この意見には同意ですが、順番でいえば、やはり「読み」と「そろばん」が先に来て、アウトプットにあたる「書き」と「プログラミング」は後に来ると思います。
STEAM教育におけるアート
S…Science(科学)
T...Technology(技術)
E...Engineering(工学)
A...Art(美術)
M...Mahmatics(数学)
の頭文字をとったSTEAM教育。これまでの理工系の教育に重点を置いたSTEM教育にArtの要素を加えたのがSTEAM教育です。
落合氏はこのSTEAM教育の重要性には触れたうえで、以下の点を指摘しています。
[日本のSTEAM教育において、不足している4つの要素]
・言語(ロジック化)
・物理(物の理という意味で)
・数学(統計的分析やプログラミング)
・アート(審美眼・文脈・ものづくり)
この中で、小学校教育には圧倒的にアートが足りていないように感じます。
図画工作や音楽の授業の中で、鑑賞教育にかけられる時間はほんのわずかです。校内の学習発表会や作品展のために、合唱や作品作りに多くの時間が割かれ、鑑賞は各単元1、2時間程でしょうか。しかも、図工であればクラスメートの作品を鑑賞することで終わり、、なんてのも多いのではないでしょうか。
自分のクラスで実践しているのは、京都造形芸術大学で行われている「ACOP」(対話型鑑賞)です。
ACOP / エイコップ(Art Communication Project)とは、「みる・考える・話す・聴く」の4つを基本とした対話型鑑賞プログラムです。美術史等の知識だけに偏らず、鑑賞者同士のコミュニケーションを通して、美術作品を読み解いていく鑑賞方法を提唱しています。
教員はファシリテーターとして子どもたちの意見を引き出すことに徹します。
これは、ゼロヒャク教科書の中の以下の部分ともつながります。
自分が持っている知識やコンテクストと照らし合わせながら、その作品を見たときに「こう感じた」、「こう思った」と言葉で説明できることが大切です。
実践している、といっても、継続的な指導はやはり難しいというのが本音です。
しかし、間違いを恐れず「とにかく意見を出せる子」にもつながる、答えのない問いかけとして、今後重要になってくるでしょう。
100歳まで学べる子を育てる
学校教育は大きく変わる転換点に来ています。
その中で、小学校教員も「去年と同じ」ことをしていては、価値がありません。
100歳まで学び続ける子どもを育てるために、小学校での指導の在り方も考えていかないといけないでしょう。
ゼロヒャク教科書は「親子で一緒に読める本を目指した」と書かれているように、注釈も多く、落合氏の著書としては一番の読みやすさです。
ぜひ、先生も、親御さんも、読んでみては。
ご意見ご感想待ってます。